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 電話地蔵(電話大日尊)京都市下京区下珠数屋町通東洞院西入橘町



明治35年頃、電話線埋設工事中に発見された石仏。
現在は電話大日如来として保存・お祀りされています。










話大日尊由来記
 敬って申せば、今より前の明治三十五年の頃、東本願寺の山門の建立工事がまだ始まらない頃で、俗に穴門と言われていた仮大門の少し北前方のお濠端に近い処で、電話線の埋没工事中、突如地中より現れ給うたのが、ここに安置し奉る大日尊でございます。
この工事をみていた小川堂王覚という人が、どなたであれ、佛像らしいものを何も知らない工夫の手で石砕とされていまう事を懼れ、この石佛を貰い受け、自分の店舗の一隅に安置し、僧俗一体となってお祀りする御佛とした次第です。
 以来、時世の移り変わりは激しく、地域拡張のため当の小川氏は移住せねばならなくなりましたため、この御佛は廿人講町より現在の橘町へ遷座されました、その際、今の吉田由太郎氏より三代前の浴場主が新しい宮殿を建立いたしました。
 今回、時将に昭和六年十一年、吉田氏の新浴場の成功にあやかろうと、当町町内の資金一部を割いて、この廟を修繕し、面目を一新いたしました。どうかこれにより、橘町代々の守護本尊として未来永劫にご加護がありますよう祈願申し上げます。
 因みに、この額の書者は越後高田の常敬寺の老僧、中戸厳善和尚の御筆でございます。また、この御佛は大日尊で、鎌倉時代の作と伝えられております。
昭和六年十一月十一日 遷座記念の日 法光堂儀
(平成十一年の再建にあたり口約する) ※以上、碑より抜粋。


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撮影:2007.06 / 更新:2007.06.24

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