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 わが国最初の海底電信線敷設の地 | 北九州市門司区門司(和布刈公園内)



わが国最初の海底電信線敷設の地
明治5年8月 この地にはじめて
九州(門司雨ヶ窪)と 本州(下関前田)約900メートルを結ぶ海底電信線が陸揚げされ九州に電気通信の曙を迎えました。(以下管理人略) 
昭和54年3月1日 日本電信電話公社







記念碑前から見える本州(山口県下関市前田付近)。
この海の底を「日本初の海底電信線」が横断していました。

メモ:
 明治初期、日本の官設電信線は「東京横浜」と「大阪神戸」間のみで、外国からの電信(電報)は上海から長崎までは「大北電信会社」(※当時のデンマーク資本の電信会社)の海底電信線で送信し、長崎以外の国内各地宛てのものは「飛脚郵便」で送信していたそうです。(※長崎から東京までは「飛脚郵便」で丸三昼夜もかかったそうです。)
 そこで、当時の工部省が明治4年(1871)東京〜長崎間(1430km)に電信線建設工事を着手しました。
 その最大の難関が「関門海峡(旧赤間関海峡)をいかなる方法でつなぐか」だったそうですが、結局「海底に敷設」する方法に決定。この電信線開通により、長崎から東京へとモールス信号により様々な新しい情報が送られたそうです。
 特に熊本県の神風連の乱、西南の役などの情報は、逐一東京に打電され電信の威力がいかんなく発揮されたそうです。

参考:国際電信創業の地(長崎)







訪問時、記念碑の周囲には木が生い茂り碑文はほとんど見えませんでした。












現在の関門海峡(本州〜九州)をつなぐ「関門橋」。




     
「関門トンネル人道」(780m)。
関門海峡の下を、歩いて15分程度で関門海峡を横断できます。



撮影:2007.12 / 更新:2007.12.15
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